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愛とは何か?
愛って、一体なんでしょう?
わかるようで、よくわからない命題。
でも最近、ふと
「愛するとは、何か」
というより
「愛するとは、何をすることか」
がわかった気がするの。
「恋愛至上主義」と言いながら、愛とは何かをまるでわかっていませんでした。
ええ、今だってわかってないかもしれませんが、何となくね、何となく。
どれもこれも、本気の、未熟な、恋だった
昔から、「あの人、好き!」って思う瞬間はあったし、恋愛も人並みに経験してきたと思う。
よく「恋愛と結婚は別」と言われるけれど、
私は、付き合った人皆、本当に「大好き」だった。
その人と過ごす時間が最高だったから付き合うわけで、
一生一緒にいたいと思える人しか付き合ったことはなかった。
遊びの恋なんて一度もなかった。
でも、今回気付いたの。
「なんて未熟だったんだ」って。
もう誰も聞いてくれないけど、また懺悔することが増えました。
(恋愛に限らず、人生が一歩進むたび、過去の過ちに気づいて懺悔するタイプ)
愛の形とは「ゆずる」こと
最近になって気づいた
今の私にとっての、愛の一つの答え。
(「愛する」という行為自体は、他のどんな言葉にも置き換えられない。だから、「愛する」という言葉があるんでね。)
愛の本質とは一体何か?
答えは「無条件に譲れる」こと
ではなかろうか?
人って、それぞれ違う考え方や価値観を持っているでしょう?
ほとんどのことは相入れない。
他人がなんでそんなことにこだわるか、なんでそんなことを思うか、なんでそんな感情になるか、全然理解できない。ひっくり返ってもわからない。
でも、愛する人が相手なら、「理解できなくても、譲れる」ということ。
自分にとってどうでも良いことを相手に合わせるのは当然だし、
一緒に楽しい時間を過ごそうとお互いに努力するのも普通。
でも、愛って、それだけじゃないの。
時には自分の意見を曲げてでも、相手の思いや感情を大切にする行動を取れるか、なのよ。
イヤイヤなのに、喜んで一歩引けるか?
相手のために、何も求めずに、期待せずに、自分から一歩を引けるか?
愛している人以外のためには、なかなかできないことも
「ううう…」って思いながら、時には「ああ、これは本当に自分じゃない」と思いながら、誤魔化してるだけと思いながら、「こんなことしたくない」と思いながらも、実行できるか?
普段から、他人に何かを譲ることが自然にできる人もいる。
それはその人がそもそも柔軟な心を持っているからか、相手の期待に応えないことで自分が被る精神的物理的不利益へのストレス、自分が困ることを避けたいからかもしれない。
でも、普段は譲れないはずのこだわりも、その相手が望むならと、譲れる。
それが、愛ということでしょう。
「ただ、あなたの笑顔を見たい」なんてね
褒めてもらいたいわけじゃなくて、好かれたいのでもなくて、ただ、相手を幸せになって欲しいというだけで、自分の何かをかなぐり捨てて行動できる、ということ。
普通だったら絶対に嫌なことでも、喜んで相手を優先する。
それが、愛の形じゃないかしら?
P.S.注意点
愛しているんでしょ、と相手にゆずることを強要してはダメ。
どこまで譲れるかのこだわり、ストレス、尺度は人によって違うからね。
特に、「これくらいはやってくれて当然」マインドが強い人は、他人を愛することはできないというか、一緒にいる相手に迷惑をかけるので、まずは自分一人で全てをできるところまで努力して成長しましょう。(私もまだまだ日々奮闘しながら勉強中!))
今日も美しく、強くご機嫌に!
Art Your Life!
Just go on this way!




