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麻生さいかです
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ピアノよりむしろ、先生が好きでした

先日、ピアノの先生からお電話を頂いた。

大好きで、大尊敬しているピアノの先生。
若い頃ウィーンで大活躍して、東京藝術大学で講師をされていた方で、私は10歳からずっと習っていた。

感性と理論を融合して、素晴らしい演奏の仕方を教えてくれた先生。
精神性が高くて、お茶目な先生。
勉強家で、物事を真っ直ぐ見据えて自分の足で踏みしめて生きていく先生。

いつだって、ピアノよりも、生き方を教えてくれた先生。
私はピアノがどうこうよりも
ただただ先生と話したくて
先生の言葉を浴びて、先生の考え方を、先生の世界の見方を知りたくて
そのために同じ目線を持ちたくて
ピアノを頑張っていた時期のが長いのではないかと思います。笑

自分の人生の責任は、誰もとってくれないから

生きていると色々なことがありますよね。
なんでこんなことになるんだろうって泣きたい日もあります。

それでもこうして生きているのには
間違いなく、先生の言葉があったからだと思います。

「あなたがやるしかないの。
 言い訳したって、文句言ったって泣いたって
 あなた、誰もあなたの人生の責任なんてとってくれないわよ。」

無力だった私に、時に無気力でしかなかった私に、まともな会話なんてできないし、話すのが不得意で、ただただ聞いていることしかできなかったけれど(たまに口を開いても「そうだと思います」みたいな、どうしようもないことしか言えなかった笑)、でも先生はひたすら語ってくれました。

どう考えて生きるのよとか。ちゃんと行動をしなきゃダメよとか。

そんな言葉に私はただただ浸って、何もできないけれど、まるでこの世界の誰からも自分なんて見えてないんじゃないかみたいな日が毎日続いていたけれど。先生は、良くも悪くも、とにかく全力で伝えてくれました。

だからこそ、いつも「私ってなんてつまらないんだろう」「こんな手応えのない反応しかできなくて、いつか先生は呆れて私に話すのをやめちゃうんじゃないか」と思って、レッスンに行く時も「もし先生が、私が中身がなくて、話を聞いても何も変化できていなくて、反応も悪いことに気づいて、何も言ってくれなくなったらどうしよう」と思ったりして。

もちろんピアノの練習が足りない状態で先生のところに行くのは言語道断だったけれど、個人的には、先生がいろいろお話ししてくれるのが何よりのご褒美で、本当に本当に大好きで。

言葉より、意味のあるもの

大学に入ってから、ふと知り合ったピアノ科のクラスメイトに言われた言葉があったんです。
「ねえ、麻生さんって、普段の感じとピアノが全然違うね。びっくりした」

(今では誰も信じてくれないだろうけれど)私は、大学に入ったばかりの頃、まだまだ内気で、基本的には、ちょっと困った顔で笑ってることしかできませんでした。

だから、皆は私を、大人しい人だと思っていたのでしょう。
でも、ピアノの演奏だけは、当時も、普段かもし出している雰囲気、イメージよりずっと激しかったらしいのです。笑
(ピアノの演奏には、真の人格が大いに出ますからね笑)

先生は、多分そんな私の真性をピアノを通じて見抜いていて、「そう思います…」しか言わないけれど、きっとその言葉の一つ一つを骨の髄まで感じて、その全てを生き方に、ピアノに、反映されていっているのを見ていたのではないかと思います。

変わり者で、社会ともある日急にうまくやれなくなって、時に挙動や考え方が変わってるから脅威で、でも全体的に生きていく希望を持てないでいる私って、家族からしても「どう育てていいか」「何を言ったらよか」よくわからない子どもだったと思うのです。

でも、先生は、ピアノを通じて、私に「ちゃんと生きろ」「この世界を諦めるな」「自分で自分を救え、あなたにはあなたの生きる道がある、どこかに」と伝えてくれていた気がします。今思えば、という後付けですけどね。

生きるのは幸せになるためじゃない

人は弱いものです。

だから、傷ついた時、涙を流しながら思うのです。

「ああ、この世界には、傷つく出来事があるんだ。
 この世界には、傷つける人間がいるんだ。
 もう傷つきたくない。
 傷つくくらいなら、傷つける側に回りたい。」

生きるのって、いつだってあまりにも辛いでしょう。
なぜこんなにも辛いのに、ここまで生きてきちゃったんだろうって、たまに思います。
少なくとも私は、その感覚なしで手放しで生きていることなんてないと思う。

でも、あいみょんの「生きていたんだな」のYouTubeのコメント欄を見ると、「もう少し生きていこうかな」と思う。
「生きてもいいし、死んでもいい」
そのどっちつかずが許されるから、生きる気力が沸く時があるんですよ、不思議なもので。

生きるのは、誰だってたぶん大変なのですよ。
何があっても、たぶん何もなくても。

でもフランクルは言っていました。
「幸せになることを目的に生きてはいけないよ」

苦悩する人間から、愛する人間に変えてくれて、ありがとう

先日、ピアノの先生が「すっばらしいでしょう!」と電話で話してくれたのが、ヴィクター・フランクルの最後の話でした。

『夜と霧』『それでも人生にイエスと言う』を書いたヴィクター・フランクルは、亡くなる直前に奥様に手紙を書いたらしいのです。

「僕を、苦悩する人間から
 愛する人間に変えてくれてありがとう」

ため息が出るほど美しく、素晴らしい言葉ですよね。

人はきっと
愛されるよりも愛したいんだと思うのです

でも、思いとは裏腹に
歳を重ねるごとに、愛することって怖くなるのですよね。

だって、人は裏切るから。
99.9999999%の人間は、いつかあなたを裏切るから。

だから、無感情になってみたり、逆に自分から裏切ってみたり、まるで愛なんて知らないみたいな顔をしたり、私たちは常に迷走し続けるんです。

「自分なんて本当は、誰にも愛されないんじゃないか?」なんて感じたり
「愛されなくて当然」なんて卑屈ぶってみたり
「愛してくれないのはなぜ」って執着してみたり
「愛してるって言いながら裏があるんじゃないか」と疑ったりして。

人は自分のことが1番大切だと思っているでしょう。
確かに、もし自分と他人のどちらかしか生きられないとしたら、きっと自分が生き残りたいと私も思うと思います。

でも、ごくたまに、ごくごくたまに、
「私は死んでもいいから、君が生きれば良いよ。」
と思える相手に出会うことがあります。

とはいえ、その相手も、99.999999999%の確率で裏切るのと同じように、あなたをいつか裏切るでしょうね。あるいはもう裏切ったことがあるかもしれませんね。笑っちゃうよね。

でも、たとえ裏切られても、「別にいいよ」と思える相手。

そういう人と出会えて幸せなのは、愛されている相手より、そんなにも人を愛することができている自分だと思うのです。

「人を愛しなさい」なんて軽く言うけれど、もしかしたら、愛する覚悟も気力も強さもほとんどの人はないのではないでしょうか?

でも、愛する相手がこの世界に存在してくれていることは、きっとこの世界の最高の奇跡でしょう。

誰かに「愛してるよ」「大事だよ」と言われても、何かをしてもらっても、「どうせ自分なんて…」と思う気持ちが消えるわけではありません。だって、結局全ては、自分の感じ方ですからね。

でも、「愛すべき相手を愛してる瞬間」は、きっとこの世界が存在してくれてよかったと思えるのではないでしょうか。

愛に溢れる気持ちを体験させてくれた相手に心から感謝して、そんな人と出会わせてくれたこの世界と、人生に感謝して、「ありがとう〜」って言いながら生きていけたら。

たぶんそれだけで良いのですよ、人間は。何を持っていても、何も失っても、生きることというのは、あなたの経歴や学歴や経験や、経済力や知識量や、そんなの最後には何の意味も持たないのですよ。

「苦悩する人間から、愛する人間に変えてくれた。」

いつか最後の日を迎える時そう言えたなら、その人はきっと「幸せ」なのだと思います。

美しいものですよね、人生というのはその全てが。

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今日も美しく、強くご機嫌に!

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