佐藤愛子は死にました

佐藤愛子は普通の女性だった。

そこそこ裕福な家に生まれ
何不自由なく生きてきた。

「どうして働かないといけないんだろう」

時給換算したら500円をとうに切ってしまった。

鏡の中から真剣な目で見つめてくる
自分をまじまじと眺めながら

佐藤愛子は思った。

こんなことのために生きていくのだろうか。

好きでもない仕事をして
そのうち死ぬのだろうか。

「結婚しちゃえば良いよ」
と誰かが言った

そうかもしれない

でも
それで良いのだろうか

私は別に誰かが好きとか嫌いとか
激しくこの世を恨んでいるとか

別にそんなわけじゃない。

別に鬱で
死にたいわけじゃない。

鬱病で死ぬ人は確かにいるけど

鬱病になる手前で休暇をもらって
のんびり過ごしている
あの子の顔が目に浮かぶ。

彼女は何の役に立っているんだろう。

彼女が生きていることで
一体誰が喜んでいるのだろう。

別に死にたいわけじゃない。
でも、もう生きることに疲れてるだけ。

なんで何もかも裏目にでるんだろう。

別に不幸のどん底でもない。

中途半端で細かい針が
針山のように
心にたくさん刺さっていた。

いいえ
蚊に刺されるような苦しみだった。

ただ

「かゆい」

だけ。
死ぬわけじゃない。

でも積み重なった
そのイライラに
ふと思った。

「死んじゃおっかなー」

簡単なものだった。

髪をかきあげてみる。

ああ、私は生きているんだな。

「人間にしかないものはなんだと思いますか?
 そう、感情です!」なんて

「私は幸せで充実して生きるんです」
を押し固めたような女性経営者が話す目の前で

「髪の毛じゃないのか
 髪の毛って名前がないだけで
 髪の毛はある生物はいるのかな?」

とキラキラ目を輝かせながら
つらつらと考えた。

あの日、途方もない夢を掲げた。

「12月までに1000万円を集めます
 集められなかったら死にます」

あえてストーリーを作ることも考えた。

佐藤愛子がもしも重病だったら?
頭が良かったら?

どうして障害がある人は
ただ生きていくための募金や寄付をしてもらえるのだろう。

頭が良くないのに
社会の役にも立たないのに
どうして募金や寄付をしてもらえるのだろう。

目標額は達成できなかった。

「あーあ」
佐藤愛子はクラウドファンディングのサイトを閉じた。

大きく息を吸う。

「終わった」

考えてみれば
別に何も始まってもなかったのかもしれない。

佐藤愛子は
世の中にとって

「必要不可欠」

ではなかった。

今まで何をやってもうまくはまらなかった
パズルのピースが

こんな時だけ
ぴたっとハマる。

「佐藤愛子は、いらない存在です」

たったそれだけの事実を
数ヶ月もかけて証明した自分に
自然と笑みと涙がこぼれた。

佐藤愛子は部屋の外に出た。

死ぬなら
あの場所にしようと決めていた。

いつかの自分が
いつかの自分を捨てた場所。

ありがとう、世界。
さようなら、世界。

 

人が溢れる宴会場。
みんなが笑いあったりスマホを触ったり

知り合い同士で来ている人もいたけれど
ほとんどの人ははじめまして。

円卓の真ん中の白い皿に並ぶ
色とりどりの宝石のような料理が
自然と会話を促していた。

急な暗転と共に
スポットライトが舞台に当たる。

つかつかと女性が歩いてくる。

「佐藤愛子は死にました」

時が止まった。
誰も瞬きをしない。

「佐藤愛子は死にました」

もう一度同じ調子で女性は続け
さっさと楽屋に去っていった。

唐突なアナウンスと
ひどく淡々としたその態度に
人々の不信感は頂点に達する。

「誰?」

という小声は次第に怒りに変わり

「どうなってんだよ」と怒り出す人もいた。

中には泣き出す人もいた。

「どうなってる?ってなんだろう」

楽屋で小さな笑いが
ついついこぼれてしまう。

本当は
佐藤愛子なんてどうでもよかったに違いない。

でも
人は怒りに燃える。

本当にどうでも良いことに怒りを覚えるのだ。

佐藤愛子は確かに死んだ。
今ここにいるのはもちろん佐藤愛子ではない。

くるくると髪を巻く仕草をしながら

アカネは白い壁についた
小さなシミをまっすぐ見つめながら
足を組んで座っていた。

佐藤愛子は負けたのだ。
佐藤愛子はこの世にいらなかったのだ。

たくさんの人の顔が目に浮かぶ。

「さあ、このお金をどうしようかな」

通帳を眺めながら考える。

これが佐藤愛子の人生。
これが佐藤愛子の遺産。

佐藤愛子はいつも言っていた。

「私が死んだとしたら
 私はこの世にいらないってことなの?」

胸にひしひしと突き刺さる。

現実はいつも正しい。
人は死ぬべくして死ぬのだ。

たまに障害を持った人が生まれる。
たまに将来的に引き継ぐに値しない性質を持った人が生まれる。

この世を平等でなくしているのは
いつだって人間自身だ。
そして人間同士だ。

助け合う?

どれも一つの運命なのに
これも一つの運命なんだし。

ピカピカの勉強道具を見て
確かにみんなは喜んでいた。

親から「必要ない」とされた子どもたちは

いつか必要とされなかった時期があることに
もちろん気づいているだろう。
そして気づいていくだろう。

弾けるような笑顔の奥に垣間見える
冷静な失望を見てアカネは思う。

がむしゃらに頑張り
疲れ果て
何もできなくなる時もある。

何度も何度も死ねば良い。

自分が生きていたいと思う限りだけ
ただただ生きていれば良い。

ただただ生きていれば良い。

いつかそのことに気づくまで

何度でも何度でも死ねば良い。

追伸:裏話

ある日突然、夢を見た。
佐藤愛子が死んだ夢だったので
最近思っていることを詩に託しました。