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『「言葉」で人生を変える超実践メソッド

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知識・スキル・哲学を身につける

出版社ノーベル書店代表
麻生さいかです



サッサと悟ろう!あなたも一緒に!

「これを読んでいる方で、悟ってる人〜?」
いないかな?

私自身は悟りました。
入院中、26歳の6月の晴れた日の朝、突然。

もともと人となんとなく合わないところがあったり、(HSS型HSPな上に、ちょっとギフテッド気味なので笑 要は「異端」だと思われるいたんでしょうね。)人生、浮き続けてきましたが、

悟ったことによって、ますます世俗から浮いてしまいました。

で、思ったんですよ。
これを読んでくれているあなたも悟ってくれたら、話も合うだろうし、生きるのがもっと楽しいかなって。笑

という自分本位な願いはさておき、実際、
繊細な人は、本当に悟った方が良いです。

私は、言葉の力でも人生を変えてきましたが、悟りによっても一気に視界が変わりました。そして、

実際に、悟らなくても、そのエッセンスを知るだけで、変わると思います。

なので、今回は、


・悟りとは何か
・人はどんな時に悟るのか
・私の悟り体験
・悟るとどうなるのか?
・悟りの脳現象とは?
・結局、悟りって?

について書いてみますね。

悟りは「頭の中」で起こるもの

悟りについて、悟りの現象が自分に起きた後に、個人的にずっと研究しているんですが、「悟り」というのは

・物理的な現象
(生体の反応という意味では物理的?生物学的?だけど)
・霊的な現象
・宗教的な現象

ではありません。

だって、見てくださいよ、この私が悟ったんですから。
「悟りって何?」も知らない頃に私が悟れているんですから。笑

余談ですが、私はちっちゃい頃はスウェーデンに住んでたので、当時は、自分のことを「キリスト教徒」だと思っていたんですけど。
5歳で作った曲に、「神様が見てるよ」ってフレーズがありますからね。すごいよね、子供って。)

でもね、ある日、頭の中で祈っている対象について、よく目を凝らしてみたら(頭の中で)見た目は「雪の女王」まんまでした。
しかも、スーパー戦隊シリーズの見過ぎなのか、白い女王の後ろにいろんな色の女王がいっぱいいたんですよ、ピンクとか緑とか。

え、神様って雪の女王じゃんって気付いたのって、小3くらいで
毎夜、寝るときに、30分以上かけて、毎日祈りを捧げてた時ですからね。
(丸暗記してた。文章化したけど、あまりにも長編で結局、当時書き終わらなかったんだよね。笑)

「あ、神様ってのは、自分で作り出してんだな。」
ってその時びっくりしました。笑

話が相当それましたけど、私は特定の信仰はないし、神なんていないというか、悟る前から、うすうす大きな何か宇宙的なものは感じていましたけど、それを「神」と崇めたことはないんですね。

なのに、26歳の、精神ではなく、病気で身体的な危機を味わった入院中に
「これを悟りと呼ばず、どれを悟りと言うんだろう…」
という経験に見舞われたわけですよ。

当時は、なんなのか、わからなかったのですが、今はわかります。
「脳の勘違い」というか、特定の条件下で、気付くものが「悟り」なんです。

人はどのように悟りを開くのか

私の体験だけだと、単なる1データにしかなりません。
なので、周りにはあまり悟りを開いてる人がいないので、インターネットや本で得たデータで調べて見たら、いろんな人がいたんでご紹介します。

=====
悟った瞬間
1、修行中
2、指が吹っ飛んだ瞬間
3、尻を叩かれた瞬間
======

1、修行中
やっぱり修行中って人もいるんですね。瞑想とか、定番。

2、指が吹っ飛んだ瞬間
何をやっても一本指を立てる和尚。
小僧が真似して一本指を立てて、その指を切り落とされた。
呆気にとられた、和尚を眺める小僧。
和尚がいつも通り一本指を立てた瞬間、小僧は悟った。
(まじ?笑 わかるけど笑)

3、尻を叩かれた瞬間
托鉢中にババアに箒で尻を叩かれた瞬間
(臨済宗中興の祖 白隠)

意味不明な瞬間が並びましたね。笑

あと「喝」ってめちゃくちゃ大声を出されて、ふっと全てが止まった瞬間が「空」とかね。(悟りじゃないが)

でも、これらで悟りが起きること、私はすごく理解できるんです。
感覚としてわかるんです。

修行してないし、仏教も禅もやってないのにね。

私の悟り体験(宗教的じゃないし、辛くて汚い話だから閲覧注意!)

そうそう、そういう私は、どうやって悟ったんだって思いますよね。

私ね、当時、入院していました。

「ママ、膝まくら・・・」と26歳にして親に呟くくらい衰弱して、とりあえずと救急に運ばれてそのまま入院、そして1ヶ月半くらいが経過した頃です。

身体的病気の症状も絶賛出ている最中で、とっても辛かったです。
熱は35~39度を数時間おきに行き来し、トイレには一日40回以上行きました。
しかも、とっても汚い話ですが、気持ち悪くて吐きながら用を足す状態です。笑

こんなご機嫌な私でも、二度と絶対に体験したくないくらいのつらさ。

元は腸の病気でしたら、悪化して全身症状になっていたので、ベットの隣のコンセントのプラグを挿すこともできない、むしろスマホの充電ケーブルがベッドの床に落ちてしまったら、とるのに息切れしながら30分以上かかるくらいの症状から、ほんの少しよくなってきていた頃でした。

悟りを開いた朝の前日、親からも「そんな辛そうなあなたは見ていられない・・・」と見捨てられ(とても良い親です。詳しい話はしませんが、家族はそれぞれに人には言えない事情があるものです)、親が乗り込んだエレベーターのドアが閉まりました。
私はそのエレベーターホールで一人立ち尽くし、膝から崩れ落ち、精神的にも身体的にももう限界だと、ボロボロになりながら迎えたその朝です。

起きた時、

「あ、死んだかな」

って思いました。
全てが違ったから。

とても明るい、なんだかいつもより白い(気がする)病室。

音が聞こえないというか、目が見えないというか、全て感じるんだけど、現実味があり過ぎるくらい、全ていつも通り目に見えて、耳に聞こえて感じるのに、「何かが違う」ってなった。

これが私の「悟り」体験です。

これを読んで、あなたが「はあ?」ってなる気持ちもわかる。
私も、あの時は「はあ?」って思った。

・頭が狂ったか
・死んだか

どっちだろう?って思いました。(二択がおかしい。)

その時の感覚自体は、もう思い出せないのですが、その時に何を感じたかは絶対忘れないです。

というより、今も感じているんです、意識していないだけで。
といより、あなたも今、本当は感じているんです、意識できないだけで。

この時の悟りで得た感覚、一瞬で理解した真理は、「世の中の修行僧」と一緒でした。

悟ると、どうなるのか?

では、私は悟って何を感じた(わかった)かを書きましょう。

まず、「世界は私。私は世界」

なんというか、説明できないくらい感覚的な確信としての気づきなのですが、あえて言葉にするなら
「世界は私。私は世界」

意味はとしては、「私というのはなくて、世界があるだけ」というのが突然わかりました。
(この時たまたまでなく、「生まれた瞬間から、というか生まれる前も、これからも、いつもずっと、そうだったし、そうなのだ」とわかるのです。)

真理」であり
「宇宙」であり
「ワンネス」であり
「大我」であり
「空」であり

その全てを体感したというか。

・世界と自分の境界がなくなる
(アドラーの共同体感覚の本物ですね)

・全ては内観でしかない
(からこそ、誰とも何も共有はできないことを知った)

・自分というものの絶対性であり曖昧性
(自分で自分と思っているのは、今たまたま人間を構成してる物質であり、箱だとわかった)

諸行無常

東洋哲学的なもの

それを全て、一瞬にして、一気に理解できました。
(その現象が何かは当時わからず、それを知るためのこれらの知識を後から学びました。)

マジで世界は素晴らしいし、色々な意味で解放されました。

何かが存在してると思うこと
何かを感じると思うこと
自分というものと他との境界がある

これらが諸悪の根源だとわかったのです。
仏教的に言えば、「業」なんだろなと。

つまり、

「宗教もスピ力もなくても、悟りは開ける。」

そして、
「悟った瞬間にわかることは、不変の事実なので、全員知っておいたほうがいいし、できることなら体感したほうがいい」
って思いました。

悟りの脳で起きている現象(予測含む)

と上のように書きますと、悟りってどうしても抽象的な話になるのです。
では、悟りの境地における脳の働きについて、学術的に話します。
脳で起きてる(と思われる)現象を書いてみますね。

ある論によると悟りとは、

・前頭葉は活動中
・頭頂葉の活動は抑えられる
(視覚や聴覚など五感の情報 を統合)

「音は聞こえ、物は見えているがその意味や 実在感があいまいになり、いっぽう前頭葉の活動で自分の核は失われないという、 いわゆる三昧の境地であることが分かる。さらに瞑想が深まり自己を規定する五感が薄れると、自己と他者との境の畔が切れ、宇宙との一体感やキリスト者の場 合はキリストとの一体感を生むこともあるとされる。」
http://www.ningenzen.org/zen42/06-1.pdf

ということらしいです。

ドーパミンやセロトニンも大量放出で、幸福感も半端ないようです。(本当に、半端ない幸福だった!!!)

そして、これを体感した時に、上のようなことに気付くわけです。

この脳現象を踏まえると、悟りを開いた瞬間は、内側、心理への追求だけでなく、外的な衝撃的な刺激があったことが発端という人が多い人のも納得できますよね。

脳の前頭葉や扁桃体などに、普段じゃありえない現象が起こった時に、悟りを開いちゃうですよ。

そして、私の場合は、悟りの前後で人格(世界を見る認知)が変わってしまったので、複属的に

「世界は誰もが内観で見てるだけで、誰とも共有できない」ことがわかったのです。
(私は旧人格・新人格で感覚が完全に違います。旧人格の感覚はもう忘れてきたけど。)

で、言いたいのは、できることなら、この体感を全員にしてほしいってこと。
無理なら、それを自分の中に、知識としてでも、エッセンスだけでも良いからできるだけ落とし込んでほしいってこと。

無理難題を言ってるのはわかる。
それでも、それが生きやすくなるための、大きなきっかけに間違いなくなると思います。
特に、繊細さん、HSPの人は、いつも頭の中の声が大きくて苦労しているだろうから・・・

そしてね、一つ言いたいのは…

悟っても、悟らなくても、ただ「生きる」だけ

悟っても結局は、何も変わりません。
悟っても、ただ生きるだけです。

スーパーで夕飯の材料を買って、ケトルでお湯沸かして、洗濯を回して、面倒だなあとか思いながらコロコロで掃除をし、食物を胃で消化して。

やっぱり、良いことも嫌なこともあって、ただ「生きる」んです。

でも、悟ったおかげで、断然生き易くはなった。

けれど、悟ったからと言って、

・全てが喜び満ちる訳でもないし
・知らないことは知らないままだし
・人にバカにされることもあるし(震えるほど腹も立つし)
・試験に落ちることもあるし
・職場でいじめにも遭う。

だから、悟っても「ただ生きる」ことには変わりありません。

けれど、やっぱり私は、

「悟った」ほうが幸せだと思う。

なので、気が向いたら、これからも、「悟り」「東洋哲学」含めて、人生哲学についてもちょくちょく話そうと思います。

私は普段、繊細な人が言葉で生きやすくなるための方法を書いていますが、

繊細な人こそ、

マジで悟ったほうが生きやすいから、頑張って!

今回のまとめ

・悟りとは「脳内現象」
・悟りは宗教、霊、修行とは無関係
・悟る瞬間は人それぞれ
・悟りには
前頭葉、頭頂葉、扁桃体、ホルモンが関係
・真理に気付き、世界と自分が同化すると同時に、自分が消えるのが悟り
・全員、悟ったほうがいい!



今日も美しく、強く、ご機嫌に!


Art Your Life!
Just go on this way!


ここまで読んでくださって、ありがとうございます!

    
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